中学歴史【二度の世界大戦】プリント・確認テスト用紙
中学歴史【二度の世界大戦】の確認プリントです。
中学歴史【二度の世界大戦】について
【第一次世界大戦】では、第一次世界大戦が起こった背景と、戦争の特徴について学びます。
19世紀末から20世紀初めのヨーロッパでは、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商が対立していました。
特にバルカン半島では、オスマン帝国の衰退に伴ってスラブ民族の独立運動が活発になり、ロシアの南下政策も重なったため、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれました。
1914年、サラエボでオーストリアの皇位継承者がセルビア人青年に暗殺されたことをきっかけに、第一次世界大戦が始まりました。
日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦しました。戦争では、戦車・飛行機・毒ガスなどの新兵器やざんごうが用いられ、多くの死傷者が出ました。
また、国民や経済、資源、科学技術を総動員する「総力戦」となりました。1917年にはアメリカも連合国側で参戦し、1918年に連合国側の勝利で終結しました。
【ロシア革命と国際協調】では、ロシア革命と第一次世界大戦後の国際社会の変化について学びます。
1917年、長引く戦争や皇帝の専制政治への不満から、レーニンの指導によってロシア革命が起こり、社会主義政府が成立しました。その後、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立し、スターリンは五か年計画を進め、重工業化と農業の集団化を図りました。
一方、社会主義革命の広がりを恐れた日本や欧米諸国はシベリア出兵を行いました。第一次世界大戦後にはパリ講和会議が開かれ、ベルサイユ条約によってドイツに領土縮小・軍備制限・賠償金が課されました。
また、ウィルソン大統領が民族自決を唱え、国際連盟が設立されました。さらに、女性参政権の拡大やワイマール憲法の制定、ワシントン会議による軍縮など、民主主義と国際協調を目指す動きが進みました。
【アジアの民族運動】では、第一次世界大戦後にアジア各地で高まった民族運動について学びます。
日本は第一次世界大戦中、中国にあるドイツの拠点を占領し、1915年に二十一か条の要求を中国へ認めさせました。この要求は中国の主権をおかすものとして強い反発を招きました。
さらに、パリ講和会議で山東省の権益返還が認められなかったことから、1919年に五・四運動が起こり、孫文は中国国民党を結成しました。
同じ年、朝鮮では日本からの独立を求める三・一独立運動が始まりましたが、朝鮮総督府によって武力で鎮圧されました。
また、イギリスの植民地であったインドでは、自治を与えるという約束が守られなかったため、ガンディーが非暴力・不服従運動を指導しました。これらの運動から、帝国主義への反発と民族自決を求める動きが、アジア全体に広がったことを学びます。
【大正デモクラシー】では、大正時代の民主主義について学びます。
大正時代には、藩閥政治に反対して憲法にもとづく政治を求める第一次護憲運動が起こりました。
第一次世界大戦による大戦景気で日本経済は発展しましたが、米価の上昇によって米騒動が発生し、寺内内閣が退陣しました。その後、原敬による本格的な政党内閣が成立しました。
こうした中で民主主義を求める大正デモクラシーが広まり、吉野作造は民本主義を唱えました。
また、労働者による労働争議やメーデー、農民による小作争議が広がり、全国水平社による部落差別からの解放運動や、平塚らいてうらによる女性の権利拡大を求める運動も活発になりました。
第二次護憲運動を経て、1925年には満25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が成立しました。一方、同じ年には共産主義を取りしまる治安維持法も制定されました。
【大正時代の文化】では、大正時代に広がった文化や人々の生活の変化について学びます。
大正時代には、都市化や人々の生活の変化とともに、新しい文化が広がりました。
1925年には東京・名古屋・大阪でラジオ放送が始まり、新聞と並ぶ新しい情報源となりました。
また、新聞の発行部数が増え、蓄音機やレコード、映画なども多くの人々に親しまれるようになりました。
文学では『羅生門』などを書いた芥川龍之介や、労働者の生活を描いたプロレタリア文学の小林多喜二などが活躍しました。
生活面では、欧米風の文化住宅や、ライスカレー・トンカツ・コロッケなどの洋食が広まりました。都市ではサラリーマンが増え、バスガールなど女性が働く機会も広がりました。
一方、1923年には関東大震災が発生し、東京・横浜を中心に大きな被害を受けました。このように、大正時代には社会の変化とともに大衆文化が発展していきました。
【世界恐慌】では、世界恐慌が各国の経済や国際関係にどのような影響を与えたかを学びます。
1929年、アメリカのニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界恐慌が始まりました。多くの銀行や企業が倒産し、失業者が増え、恐慌は世界中へ広がりました。
アメリカではローズベルト大統領がニューディールを行い、公共事業による雇用の確保や、生産調整、労働組合の保護などを進めました。
一方、イギリスやフランスは、関係の深い国や地域との経済的な結びつきを強めるブロック経済を進めました。
これに対し、植民地の少なかったイタリア・ドイツ・日本などは、新たな領地を求める動きを強めました。
また、ソ連は五か年計画による独自の経済政策を進めていたため、世界恐慌の影響を受けませんでした。
各国が自国の利益を優先した結果、国際協調の体制は大きく揺らいでいきました。
【ファシズム】では、ファシズムがどのように広がり、イタリアやドイツで独裁政治が進んだのかを学びます。
第一次世界大戦後、イタリアでは政治や経済への不満が高まり、個人の自由や民主主義よりも国家や指導者への服従を重んじるファシズムが広がりました。
ムッソリーニはファシスト党を率いて独裁政治を行い、1936年にはエチオピアを併合しました。
ドイツでは、1933年にヒトラーが首相となり、ナチスを率いて独裁体制を築きました。ナチスはワイマール憲法を停止し、言論や政治活動を制限するとともに、ユダヤ人を迫害しました。
また、ドイツは1933年に国際連盟を脱退しました。世界恐慌によって失業や貧困が広がると、社会の混乱を早く解決してくれる強い指導者を求める人々が増えました。このような社会不安が、ファシズムが広がる背景となりました。
【昭和恐慌】では、昭和初期の日本で深刻な不況が進み、中国との関係や政治にも変化が現れたことを学びます。
昭和初期の日本では、関東大震災による経済への打撃に続き、1927年に金融恐慌が起こり、多くの銀行が休業・倒産しました。
さらに、アメリカから始まった世界恐慌が日本にも及び、昭和恐慌と呼ばれる深刻な不況が発生しました。
政治では、二大政党の党首が交代で内閣を組織する「憲政の常道」が続き、1928年には初の男子普通選挙も行われました。
一方、中国では蒋介石が国民党を率い、南京に国民政府をつくって中国全土をほぼ統一しました。
日本の関東軍は満州での権益に危機感を強め、1928年に張作霖を爆殺しました。また、1930年には浜口雄幸内閣がロンドン海軍軍縮条約を結び、軍備縮小を進めました。
【満州事変と日中戦争】では、満州事変から日中戦争へと戦争が拡大し、日本国内でも軍部の影響力が強まっていく過程を学びます。
1931年、関東軍は柳条湖事件をきっかけに満州事変を起こし、翌年には溥儀を元首とする満州国を建国しました。
国際連盟が満州国を認めなかったため、日本は国際連盟を脱退しました。
国内では五・一五事件や二・二六事件が起こり、政党内閣が終わり、軍人が政治に強い影響を与えるようになりました。
1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、中国では国民党と共産党が協力して日本に対抗しました。
戦争が長期化すると、国家総動員法が制定され、政府は労働力や物資を統制しました。
また、配給制・切符制や隣組がつくられるなど、国民生活も戦争中心に変化しました。朝鮮では皇民化政策も進められ、日本の戦時体制が強化されていきました。
【第二次世界大戦】では、第二次世界大戦の始まりから太平洋戦争、日本の敗戦までの流れと、戦争が人々に与えた影響を学びます。
1939年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が始まり、ドイツ・イタリアなどの枢軸国と、イギリス・アメリカ・中国などの連合国が対立しました。
ドイツではユダヤ人迫害が行われ、アウシュビッツ強制収容所では多くの人々が犠牲になりました。日本は1940年に日独伊三国同盟を結び、1941年には真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入しました。
その後、ミッドウェー海戦を境に戦局は悪化し、学徒出陣や勤労動員、疎開など国民生活も戦争に組み込まれました。
1945年には東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原子爆弾投下があり、ソ連も参戦しました。日本はポツダム宣言を受け入れ、8月15日の玉音放送によって国民に戦争の終結が伝えられました。
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